「人に好かれたい…」
誰しも「嫌われたい」なんて思って生きてはいないし、むしろ「好かれたい」と思うのは当然のことだと思うけど気をつけて。
この欲求ばかりを重んじた生き方は、自己否定につながってしまうし、結局他者から評価してもらえない最悪な人生になってしまうらしいよ。
「アドラー心理学」って知ってる?
そう。
その中でアドラーは「周りに起こる物事の見方(解釈)」を変えるだけで、すべてはいい方向に変わると言っているよ。
今の自分を変えたいのであれば、まずは物事の見方(解釈)を変えることから始めよう。
順を追って説明していくからご安心を…
他者への解釈を変えよう
悩み自体は自分のものだけど、その悩みの中には必ず他者が含まれているよね。
もしも「孤独」が悩みだとしても、それは他者がいないことには発生しない悩み…
そんな指摘して、アドラーは「個人の中だけで完結する悩みはない」と言ってるんだ。
つまりは、自分が抱えている悩みは「対人関係」が起因しているということだから、悩まないようにするには「他者への解釈を変えること」が解決策だということになるんだ。
そういうこと。
そして、物事の見方が変われば、思考や行動やも変わっていくはずだよね。
人と比べないようにしよう
そうだよね、「劣等感」は持たない人は存在しないっていうくらいのすべての人が苦しんでいる心の病だからね。
でも劣等感は自己実現にブレーキをかけてしまう最大の要因だから気をつけて。
だよね。
でも、ここですごいのはアドラーは「劣等感」それ自体を否定しないところなんだ。
アドラーは、「劣等感は人間の努力や成長を促すエネルギー源になる」と考えた。
ただし、劣等感には二種類あって、「正しい劣等感」と「誤った劣等感」があると定義した。
「正しい劣等感」は『理想の自分と比較』したときに、まだ劣っている、不足している部分があると感じること。
「誤った劣等感」は『他人と比較』して自分が劣っていると解釈すること。
この「誤った劣等感」が全ての悩みの種なんだ。
他者を競争相手と捉えず仲間と捉える
他者と比べるのではなく、「理想の自分」と比べ、その理想と現実とのギャップを少しずつ埋めていく。
全ての人がその生き方をしていると解釈できたとき、他者は比べる相手ではなく、同じ目標を持った仲間と言えるんじゃないかな。
相手の心の中はわからない。
口で言ったところで、心の中ではどう思ってるかは究極的には分からない。
「相手がホントウはどう思っているかは分からない」
それは少し寂しい気もするけど仕方ない事実。
真にどう思っているかは知るすべがないのだから、「自分の解釈次第」でどう捉えることもできる。
というか結局どう捉えようが「自分の解釈」でしかない。
アドラー心理学で提言されているように、「他者=仲間」と無条件に解釈してしまおう。
課題の分離をしよう
自分ができることは自分の課題、相手がどう評価するかは自分の課題ではない..それを区別することを「課題の分離」というよ。
他者の評価は「他者の課題(自分にはコントロールできないこと)」。そんなことは考えても無駄。
そんなふうに「自分の課題」ではないということを明確に見分けて、自分の課題だけに誠心誠意取り組むことが大切なんだ。
自分の理想に近づけていくことだけをする…そうすることでオリジナルな能力が発揮され、他者から評価されることになるんだ。
承認欲求から解放されよう
そう、承認欲求は本能的なもの、だからこの欲求が満たされないと苦しいのは事実。
そこでアドラーは、自分の価値を実感するために必要だと考えたのが「共同体感覚」。
「共同体感覚」とは「自分は世の中に貢献している存在だ」と実感すること…アドラーは「他者貢献」の考えを持って生きよと教えてるんだ。
ということね。
そういうこと。
ただし気を付けたいのは、ここでも「承認欲求」を意識しないことが大切。
自分がしたいから他者に貢献する…何をしたって、他者の評価は十人十色、電車で席を譲ったところで嫌な顔をする人はいる…それはそれでいい。
大切なのは自分ができることをする…「他者貢献」をするということ。
自分に対する評価は、自分ではできないこと…「承認欲求」を基準に生きることはせず、理想の人生を生きるには何をすべきかという「自己指針」を基準に生きるようにしよう。
そう。
承認欲求から解放されることができたら、「純粋な他者貢献をすること」や、「(他者の目を気にせず)自己実現に邁進していくこと」がかのうになるんだ。
自分に課題を。
実現するべき自己を探そう。