アドラーの「嫌われる勇気」を少し誤って解釈してしまってる感じがする質問ですね。
でも、その視点から考えると、アドラーの「嫌われる勇気」の考え方が少しわかりやすいかも…
「嫌われる勇気」の要点をおさらいしよう
ふむ、たしかにそこだけを切り取るとそう思ってしまうのもうなづける。
「理想の自分」と比べてその行動がどうなのかがポイント
でも、アドラーは「周りの目は気にするな、周りと比べるな」とは言っているけど、自分自身の「理想の姿と比べるな」とは言っていないんだ。
だから、「悪質なクレーマーは(アドラー心理学でいうところの)嫌われる勇気を持っているってこと?」と問われたら答えは「おそらくNO」ってことになる。
というのは、理想の自分の姿が「悪質なクレームをしている姿」であれば、理想の姿と現実の姿が一致するから自己実現できていることになり、その際生じる周りの評価を無視できているから、「嫌われる勇気」がある…ということになる。
しかし、「悪質なクレームをする人」がなりたい自分の姿だって中々いないはずだから「おそらくNO」ってことになる。
また、これが親切心から来る「他者貢献の前のクレーム」であれば話は変わる。
そう、アドラーは全ての劣等感を否定はしていない。
なぜなら劣等感はエネルギーになり得るから。
しかし比べる対象を間違えないように注意している。
「他人と自分を比べるな」「理想の自分と比べよ」と。
「課題の分離」をすることで周りの目を気にせず「自分の課題」をこなして「理想の自分」に近づく
これは「課題の分離」からくるもので、課題には「自分でどうにかできるもの(自分の課題)」と「自分にはどうにもできないこと(他人の課題)」があるとしている。
「自分の課題」は自分の行動のことで、それに対する評価というのは自分にどうにかできるものじゃないから「他人の課題」…ということになる、アドラーは課題を分離して、他人の課題を気にするなと言っているんだ。
そう。
さ、理想の自分はどんなのか、今の自分と比べる相手を作るところから始めてみよう。