何か夢があって、それを諦めることとなって、そのあと何をしたらいいか分からなくなってしまったり..
高校、大学と進学し「みんなが就職する」から自分も就職して…なんとなくで毎日を過ごしてしまっていることを自覚してしまったり..
「人生で何をしたらいいのか分からない」って思う時ってありますよね。
「何をしたらいいのか分からない」のであれば、したいことを探すのが解決になるはず…
だけど、困ったことにそれがどうしても見つからないのかい?
結婚して「自分優先」の人生を辞めると楽になる
「自分のためにしたいこと」が見つからないのであれば、「誰かのためにできること」をするのはどう?
いやいや、それはおすすめしないよ。
そうじゃなくて、たとえば結婚なんてどうかな?
「結婚」について人それぞれ考え方があると思うんだけど、ぼくの考え方はこうなんだ…
相手の人生を優先的に考えて、そのために自分の人生を使う…それがぼくの考える「結婚」の在り方なんだ。
そう。結婚して「相手の人生を幸せにする」ことが目的になったのであれば、おのずと自分がすべきことが決まってくるんじゃないかな?
たとえばだけど、相手の人が専業主婦希望で今の自分の収入じゃ足りないということであれば、「専業主婦という希望」を叶えるために仕事を頑張ることができるんじゃないだろうか?
そして、その仕事じゃ「相手の希望」を叶えられないと判断したら、別の仕事を探さないといけない。
一見大変そうだけど、「何をしたらいいか分からない」「がむしゃらに頑張る」という人生よりも、ぼくはいい気がするなぁ。
そんな定義の結婚をぼくはオススメするんだけど、一つ注意しないといけないことがあるんだ。
それは、「見返りを求めないこと」。
「相手を幸せにすること」が自分の幸せなのだから、相手が幸せならそれでいいはず。
それを間違えて「感謝が足りない」とか「おれがこれだけ尽くしてやってるのに」とか言い出すとおかしな事になる…
そんなふうに思ってしまったら、それは「相手の人生を優先的に考える結婚」とは違ってくる。
「承認欲求」からの行動なら、それは自分の欲求を満たすための行為…そうではなく自分がしたいからするだけというスタンスが大切です。
子供ができたら、子供を最優先
子供ができたら子供のことを最優先して考えれば、自動的に自分のすべきことが見えてくるはず。
最優先を子ども、次に結婚相手、その次に自分…
そうやって自分の人生の使い道に優先順位をつけてあげるとやるべきことが見えてくるはず。
やるべきことはハッキリしてるんだからあとはやるだけになる。
それは大変かもしれないけど、やるべきことが分からなくてぼんやりしている人生よりもずっと楽なんじゃないかな。
結婚は人生の墓場ではない
「相手の幸せを優先させるために、自分の人生を使う」という「他者貢献」的「結婚」であれば、人生の墓場にはならない。
むしろ「生きるための結婚」になるはず。
自分のための人生ってすごく難しい。
何がしたいかわからなくなってきた時、すごく怖くなる。
「このままでいいのか」「自分は何がしたいんだ」と逃げ出したくなる。
でも、相手のことを想えば、その人を幸せにしようと想えば「何をすべきか」わかる。
「自分は何をすべきか」で迷って悩んでしまうくらいなら、「相手のことを想う」ことでその悩みから解放されるという方法もある。
そんな考え方もあるよ、という話でした。